懐 笑 怒 泣 虚 酔 諸々

今まであったことはさみながら諸々書く中年おじさんにお付き合い頂ければ

昭和のあの頃

前回に書きましたながれですが、私は小学校に上がる前、祖母と祖母の姉と3人で暮らしていました。前回書いた通り、保育園に通っていた私は脱走するなど集団の中で生活をするのが好きな子供ではなかった様に思います。

なので、夕方帰る時間になり祖母や祖母の姉が迎えにきた時の気持ちたるや本当に嬉しかったものです。

帰りに商店街により肉屋さんでコロッケやメンチカツ買ったり、お惣菜屋さんみたいな店でイカの味噌漬けをよく買い夕飯のおかずになっていた記憶があります。

魚屋で刺身を買うというと何故か必ずマグロの赤身かイカの刺身でした。あ、タコもたまにあったかなあ。

あと、おもちゃ屋に駄菓子が売っていて祖母の姉から50円ほどをせしめ、先に帰ってもらい

保育園の制服のままおもちゃ屋を、たむろしていた様な気がします。

住んでいた公団団地の近所にお年寄夫婦がしている小さな鰻屋さんがあり、たまに買いに行ってました。あの頃今みたいに鰻も高くなかったんだろうなあ。

記憶の続きをまた次に書きます。

 

子供の頃

私の子供の頃と言って今、記憶があるところから考えると、祖母と祖母の姉の3人で暮らしていたところからです。

その時点で両親はいませんでした。ただ、記憶のある最初がそこなので逆に後々両親という人たちと生活することに気持ちのどこかに違和感を持っていた気がします。

祖母たちと暮らしていたときの周りの友達は皆両親なり片親が居ましたが、私に対して何で親がいないかと聞く友達もいませんでした。

祖母たちとの生活は裕福なものでは決してありませんでしたが、間違いなく居心地のいい時間、生活でした。当時、保育園に通っていた私は何度か保育園からの脱走をした記憶があります。

多分祖母たちとの生活が緩い状況のなか、保育園というある意味統制された規律のある状況に

気持ちの部分が耐えられなくなった結果なのでしょう。

こう書いていると今でもそういう思いを根底に持っている自分がいる様な気がします。

いいのか悪いのかわかりませんが。こういう思いってその当時にいい悪い関係無く思うがままに行動してしまった結果なだけなんです。

ただ、何故かこの脱走の後に自宅の近くで先生達が来て見つかるのですが、誰も私の事を叱ることがなかった記憶もあります。

あのとき叱られていたら、私の根底にあるこの脱走してもいいんだという衝動みたいなものが

また違う残り方になっていた気もします。

何かよくわからない展開になったので次回はもう少し楽しかった話を書きます。

 

プロ野球を見てて

広島東洋カープセリーグで優勝しました。

先発投手のローテが中々難しい中、中継ぎ以降の投手、更には4番が抜けても皆で点を取りに行く打撃陣。すごいなあ。

私の小さいころ、周りは巨人ファンばかりでした。投手と言えば江川、西本、角、香取が印象にあります。角の投げ方とかマネしてた様な記憶が。ただ、あまりがっつりプロ野球中継を見てた記憶もないなあ。親がその当時TVで見てた記憶もない。ただ、公園とか広い駐車場のスペースとかで野球はしてた思い出はあります。

すごい下手くそだったけど。あのころは外に行ったら誰かしら同い年くらい子供がいて何かしらして夕方まで遊んだなあ。帰るときのどっかの家から夕飯の煮物かなんかの匂い、好きだったなあ。次は子供の時の思い出を書いていきます。

今日から始めてみます。

始めてみます。

ここんとこ気持ちの整理が頭ん中だけで整理しきれないこともあり。

何か続けて綴っていけば気がつくこともあるかと。

自分の中にあるものを何かこの場で下らなくても表現していきます。f:id:igaguri1414:20170920221932j:image